映画『天地明察』から見る、日本暦の歴史

映画『天地明察』から見る、日本暦の歴史

現在使用されている暦についてその歴史を紐解いた映画『天地明察』が公開され、意外と知らない日本の暦形成までの苦悩と葛藤を知ることになった作品だ。何気なく使用しているカレンダーは、まだまだ世界でその技術を切磋琢磨して形成している。ここは天地明察のテーマにもなった暦を、ここでは映画と小説の内容と共に考えて考察するサイトとなっている。

旧暦の種類

渋川春海が作成した暦のこの中に

和暦については日本固有のものとなっているのだが、海外の人々からは非常に分かりづらい、それこそ日本フリークといった親日家でもなければ中々既知情報として捉えることは出来ないものとなっている。こちらについては日本以外にも独自性を持っている文化はあるのと同じように、無理に分かってもらう必要はないだろう。ただ日本人としては最低限日本国産の暦についてだけでも、詳しくは知らなくても大枠だけでも知識として持っていても差し支えることはない。恐らく沖方丁もまたそんな考えだったのではないだろうか、恐らく彼もまた暦という1つのきっかけを調べていく中で、渋川春海に出会ったのではないだろうか。中世を生きた天才棋士、または暦を開発した学者としてその筋では有名かもしれないが、通常の高校課程における授業で彼のことを知る事があるだろうかと聞かれると、恐らく分からないという人が多いと思う。筆者もそうだ、こちらの記事作成に必要な情報を収集している際、渋川春海などといった古代人のことなど聴いたことも無かった。こうして作成している中で、現代日本にも影響を及ぼす日本初の暦を開発することに成功した事実は、非常に大きい。

暦に関して調べるとなれば、現在調べている暦も気になるところだが、かつての日本で活用されていた旧い暦、『旧暦』についても少しばかり知識として勉強すればより日本の暦について理解することが出来る。そんな旧暦には渋川春海が作成したもの以外でどんな暦があったのか、紹介していこう。

太陰太陽暦を参考にした暦

日本の、ひいては中国から派生した暦を古代は利用していたが、これらの暦は月の満ち欠け周期性を参考にして作成された『太陰太陽暦』の暦法を使用することによって作成されている。現在では世界標準として使用されている暦もあるが、そちらについては後ほどゆっくりと紹介していこう。

まずはその世界基準として用いられている暦以前の、中国から伝来した旧暦について話をしよう。この中には先述で紹介した渋川晴海が作成した『大和暦』、もしくは『享貞歴』と呼ばれている暦を合わせて計9つの歴が存在している。

旧暦一覧

1:元嘉暦
6世紀頃において朝鮮半島の百済から伝来した暦で、宋時代の中国暦となっている。日本でも初めて暦を利用したものとして語られている一方で、その暦がキチンと使用されていた証拠が見つからなかったが、近年元嘉暦を使用している出土品も算出されているなどいまだにその話題を振りまくことがある。暦としては初めて日本に持ち込まれたということで『692年~695年』という短い期間だけ利用されていた。
2:儀鳳暦
元嘉暦とほぼ同時期に開発された暦で、単独で使用されずに元嘉暦と併用して使用されていた。日本もそのやり方にあやかって併用していたが、後に単独で使用されることとなり、暦として初の試みでもある技法、進朔を導入している。同時導入された元嘉暦は暦とはどのようなものなのかを理解すると廃止し、儀鳳暦を『697年~764年』まで利用されていた。
3:大衍暦
儀鳳暦の次に中国から持ってこられた暦。だが当時暦学について知識を持っている人材が不足していたことも有り、実際に利用されるまでには慎重な準備が推し進められた。和暦として、『764年~861年』の間、利用されていた。
4:五紀暦
781年に中国から紹介された暦。使用された期間は『762年~783年』までの22年間用いられたが、単独で使用されることは無く、大衍暦と共に併用されるだけでその役目を終えている。
5:宣明暦
大衍暦・五紀暦の後に登場する暦で、利用されていた期間は『862年から1685年』という約800年間日本で使用されていた、最長記録の和暦となっている。ただこれだけ長い期間使用され続けた結果として、それまで暦に関しての算出方法は秘匿されていたが、徐々に民間へと流布・出版といった流れとなっていく。そして鎌倉時代以降になると、それまで朝廷が暦の編纂を独裁的に行っていたが時代と共に力が弱まっていくと、地方にまで伝播することがなくなってしまい、民間で作成した民間暦まで誕生するようになるなど、ある種の混沌期を迎えた。ただ暦としては非常に正確で、800年という時間でわずか二日しかずれが無かったとも言われている。
6:享貞暦
先述の宣明暦の後、渋川春海が作成した日本初の国産暦となったのがこの『貞享暦』だ。使用期間は『1685年~1755年』という70年間使用されていた。
7:宝暦暦
享貞歴の後に登場する和暦だが、この暦もまた誕生までに少し複雑な誕生背景がある。当時は江戸幕府の全盛期であり、暦法も中国ではなく西洋の暦法が伝来していた。しかし絶賛鎖国中だった日本としてはキリスト教を根絶している真っ最中であるが、技術だけはどうしても盗みたいとして西洋暦法についても、キリスト教色を排除しながら作成された。使用期間は『1755年~1798年』となっているが、渋川春海が作り出した享貞暦よりも内容が劣り、日食予測を外してしまうなどの穴が見受けられる失敗作として評価が低くなってしまった。
8:寛政暦
宝暦暦の後に作られた暦で『1798年~1844年』まで利用されていた。この暦についても暦法は先の、西洋暦法を取り入れて作成されており、何とかかつての宝暦暦よりもまともな仕上がりとなっている。
9:天保暦
寛政暦の後に導入された暦で、『1844年~1872年』の間利用されていた、旧暦として最後の暦となっている。この暦が日本として最後の太陰太陽暦の暦法となっている。これまで作成された暦の中で、最も精密なつくりであるとされていたが、その役目は明治維新の幕開けと共にお役御免となってしまう。