映画『天地明察』から見る、日本暦の歴史

映画『天地明察』から見る、日本暦の歴史

現在使用されている暦についてその歴史を紐解いた映画『天地明察』が公開され、意外と知らない日本の暦形成までの苦悩と葛藤を知ることになった作品だ。何気なく使用しているカレンダーは、まだまだ世界でその技術を切磋琢磨して形成している。ここは天地明察のテーマにもなった暦を、ここでは映画と小説の内容と共に考えて考察するサイトとなっている。

13の月で統制する

いまだ叫ばれ続けている

世界暦以外にも、世界では多くの新たな法則を導入すべきであるという意見が見られる。その中には世界全てを統一した暦を入れることで宗教観の不便さを取り除こうとした世界暦もあれば、または一年間についての考え方を改めるべきではないだろうかという、そんな運動をしている人々もいる。それは1年間を13ヶ月にしようという意見が出ている。これは『13の月の暦』と呼ばれるモノで、この法則はニューエイジとして謳われている『ホゼ・アグエイアス』と『ロイディーン・アグエイアス』夫妻によって提案された暦法だ。通称『ドリームスペル』といったようにも言われているものだが、この暦法はどのようなものなのかというと、

1ヶ月を28日、1年間を13ヶ月とする

とした太陽暦にするべきだとして提唱されている。現在でも盛んに運動が行われているが、暦についての歴史で幾度と無く提案されていては却下されている。その歴史についても気になるところであり、どうしてこういった13ヶ月の暦を入れるべきなのかと言われているのかも含めて考察してみよう。

概要

この13ヶ月の暦法理論についてはグレゴリオ暦の不合理を解消するべき唱えられたものとなっており、問題とされている箇所を改善したものであると言われているが審議としての対象にいまだ上がっているだけで、今後13の月にするべきかどうかに関しては正直世界暦同様可能性は低いといえる。この13月は元々マヤ文明の思想を取り入れたものとなっているが、暦そのものはマヤ文明には存在しておらず、誤解を招きやすいと言われている。事実、日本でもこの13月の暦法について発表された書籍に『マヤン・カレンダー』というものが発売されたことも関係して、その後13月をマヤ暦の一種であると誤解した出版物や記述が増えているという。誰も疑う人間はいなかったのだろうかと思ってしまうが、そう感じる人が少なかったのかもしれない。

この13月は別名ドリームスペルなどと呼ばれているが、それは構成単位となっているキンが、1~13までの数字に対応している『銀河の音』と20種類のマークからなる『太陽の紋章』の組み合わせが与えられており、全体として13×20=260の周期を持っている。キンには1日・4日・1週間・1ヶ月・1年・20年、といったように様々な長さの時間を当てはめて考えることが出来るとされているが、この内1日を単位としたものが260周期の暦として用いられることから、そう呼ばれている。

13の月はグレゴリオ暦の7月26日を1年の始まりとして閏年を置かないのが基本となっており、グレゴリオ暦で言う閏日に相当する部分には、52年に1度13日に渡って昇華されるのが基本であると考えられてる。ただそれも現実の13月の暦運用において、グレゴリオ暦と日付を1対1に対応させるためにグレゴリオ暦で2月29日に当たる日は『フナブクの日』と呼ばれており、13月の暦の枠組みから外れたもう1つの時間を外した日として処理されてしまうという。

暦法としての意義

13月とは現在までに利用されている12月と具体的な違いとしてどのような点が挙げられるのかを考えてみると、13月は28日の暦月と1朔望月と近似というわけではなく、暦月として28日が採用されたのは、暦月を7日の周期の倍数となっているからだ。ここでもやはり関係してくるのがバビロニアから継続している7日間の周期を慮る伝統が関係しており、そのリズムを崩す事無く考え出されたのがこの13の月という暦法だ。

この暦法を導入すると1年間は364日となるが、太陽暦となっているため太陽年との差を調整する事が必要となっている。このため、13月の暦においては13ヶ月の他に『時間をはずした日』を年末に1日付加することになり、調節する関係から通常の365日から特別何かが変わるというモノでもない。

キリスト教が敵視している

この13月においてもやはり内外から疑問と、そして欠点として挙げられる点について解消することはないとした意見が見られる。その具体的な理由としては、キリスト教において不吉とされている『13』の数字についてだ。先の世界暦においても13日の金曜日が連続するといわれているが、数々の神話などにおいて13は不吉な数字とする見方が出ており、また神の子が殺害されたのが13日の金曜日ということもあって、そうしたことから13という数字を常に目の見えるところで利用するべきではないと主張しているという。

宗教的な意味合いとしても不吉この上ない存在であるとされているが、もちろん学術的にも欠点が挙げられている。まず1年の月数を13という素数にしてしまうと半期や四半期といった日数が均等にならないため、不便であると言われている。確かに13という数字では細かな数字として算出することができないというのは、企業としてもいたいところだ。そもそもこの13の月はグレゴリオ暦の不合理さを唱えようとして考えられた暦法となっているが、マヤ思想を元に組み上げられたとしてこの13月における新年は『7月26日』とされているが、そうした根拠はあらゆる学術的分野や研究者には紐解かれていないとして、根拠がない言いがかりとしている。そもそもマヤ文明において利用されていた思想から考えられている新年とは、春分の日とされている事が証明されているため、事実無根と断言されてもしょうがない理屈を展開してしまっている。

キリスト教はもちろんのこと、学者としての見解においても13月は合理性を説いている割に、これっぽっちも合理性ではないという矛盾したものとして考えられている。便利だから変えるべきだと主張しているのも理解できるが、根本的に変えたいと願っているのならそこから改善していかなければならないだろう。